変わりゆく日本を支えた食の世界

肉食禁忌からの解放

皆さんは、1週間のうちに何回お肉を食べますか?
食の欧米化が進んだ現在では、
週に1度も肉を食べない人の方が少ないかもしれません。
現在私たちが食べる肉で一般的なのは牛や豚、鶏肉です。
実はこのうち、牛肉と豚肉が民衆へと広まったのは幕末の開国以降でした。
7世紀に天武天皇が発布した肉食禁止令によって、
野生の猪や鹿を除く4本足の動物を食べることが禁忌となっていたのです。
ただし、禁忌令を守っていたのはあくまで農民をはじめとした民衆だけでした。
武家の間ではひそかに牛や豚を生産し、食べていたのです。
江戸幕府の将軍だった徳川慶喜は、
豚肉好きが高じて薩摩藩に琉球豚を所望していたという記録も残っています。
江戸の化政期においては、
オランダや中国との貿易で栄えていた長崎でも豚の飼育が行われていました。
こちらはあくまで外国人をおもてなしするためのものだったといわれています。
海外から学問が入ってくると、
医学や生物学の観点から豚を食する人も増えてきました。

その代表的人物が福沢諭吉です。
福沢諭吉が、困っている肉屋の主人の代わりに豚を捌いてあげたら、
お礼に豚の頭を解剖させてもらったという逸話があります。
豚は雑食なので、生ごみを処理する役割としても使われていました。
不衛生な環境を改善し、食料にもなる豚の有用性が認識され始めたのです。
天武天皇による肉食禁忌令が破棄されたのは、明治時代に入ってからになります。
欧米から様々な文化が流入してくる中で、
牛肉や豚肉の消費量を上げるために、明治天皇が公に肉食を解禁します。
長年肉食を嫌ってきた人々による反抗を受けながらも、
肉の消費量は年々上昇していきました。
 

国家と食の変革

肉食の解禁は洋食を一般市民の食生活に浸透させることでしたが、
はじめは思惑通りにいきませんでした。
牛肉は比較的早期から大衆に迎合されます。
ただし、いきなりステーキやカツレツのような西洋風の食べ方が成されたわけではありません。
日本人の舌に合うように味噌や醤油で味付けられた牛鍋が一般的でした。
高級なすき焼きから劣悪な肉を串焼きにして煮込んだものなど、
値段によってランク付けしたメニューもあったそうです。
福沢諭吉や江戸末期の医者である松本良順は、牛肉の栄養価の高さに注目していました。
特に福沢は、穢れとして忌避されていた肉食を推奨する『肉食之説』という文章を執筆したほどです。
将軍家や宮中では、肉を用いた洋食が開国直後から食べられていました。
明治10年頃には、宮中の晩餐メニューとしてフランス料理が採用されています。
鹿鳴館が落成された明治15年になると、東京や大阪に西洋料理屋が続々と姿を現します。
印刷技術の発展も、西洋料理の発展に一役買っているのです。
洋食に関する料理本が活字印刷されると、大衆の西洋料理への関心が高まります。
女学校の設立によって、料理を家庭以外で学ぶ機会が増えたことにも留意しておきましょう。
海外から伝えられた様々な技術や習慣が、日本人の食を西洋化していったのです。

明治政府が掲げた富国強兵政策の1つに、徴兵制度があります。
身体が強くなければ軍人は務まりません。
肉や卵といった良質なタンパク質を摂ることで、強靭な肉体を目指したのです。
作戦中の食事にも事欠かぬように、牛肉の缶詰が陸軍によって大量に生産されました。
明治40年頃には、30年前と比べて7〜8倍も牛肉の消費量が増えていたのです。
 

更新履歴


このページの先頭へ戻る